光明寺成り立ち
室町年間、至徳2年(1385年)第三代将軍足利義満の時代に清海行者が出羽三山の湯殿山と月山2ヶ所の
権現
(衆生を救うために現れた仏)を当地に
勧請
し、お堂を建立して「
安楽院遍照坊
」と号したのが始まりと伝わっています。
その後、慶長年間(1604年頃)に時の高崎城主酒井家次の息子
宮内大輔
善次忠勝の病を住職恵賢法印が宇賀白蛇の秘法により37日間で治癒させました。家次は大いに喜んで2700坪の土地を贈り、本尊
日天子
·
月天子
を安置した
宮殿
を新たに建立し、山号を日宮、寺号を光明と名付けました。
弘法大師高崎霊場第6番とされています。
「大染寺の東にあって寺領11石の御朱印あり」と当時の古文書に記されています。
宗派は高野山真言宗です。




























